2011年3月11日
2011年3月11日の地震から3週間。あの日からだいぶよくなってきた。およそ2週間(今週の月曜くらいまで)常に地震で揺れているように感じていました。本当に凄まじい威力でした。
久しぶりのブログ更新です。
被災された皆様にはお見舞い申し上げます。
地震発生当時、私は東京にいました。今まで経験したことのない長さの地震を感じ、そして時間をおいて次々と大きな揺れが発生して、地震が起きている間は仕事どころではありませんでした。幸い、オフィスのあるビルが崩れることもなかったので、揺れが落ち着いたところで仕事に戻ろうかと思ったら、お台場方面から黒煙が上がっているが見えた。それを皮切りに様々な被害情報が怒涛のように入ってきました。都内は電車が止まり交通網がストップしたり、建物の一部が崩れたりなど。そして Ustream で津波の動画が流れてきました。本当に信じられない光景でした。映画かと勘違いするくらい見たこともない光景が映されていました。この地震の恐ろしさに気づかされました。間もなく社長から業務を切り上げて早く帰宅しようと連絡がありました。
あの日、歩いて家へ向かう人が多かった。自転車を購入した人も多かったみたい。多くの人が徒歩で家に向かっているのに気づいた人たちが休憩場やトイレを提供したり、食事を提供したり、交通網を失った首都圏でもすぐに助け合いがはじまっていた。駅では電車を待つ人たちであふれていた。
ぼくは電車が動いていないことが分かったのと自宅まで徒歩だと10時間を越えることが分かったのとでオフィスで一泊しました。だけど熟睡なんてできなかった。Ustream から流れる映像は地震と津波と火災が、そして体感的に大きな地震も何度もあったし。夕飯を調達しにいったけどコンビニは棚に商品がほとんどなかった。明らかに非常事態でした。
家族と連絡が取れたのは地震当日の夕方に固定電話で何度か掛けてつながりました。みんなが安全なのを確認したのと無理して帰宅しないことを早い段階で確認できたので、自分のことだけを考えればよかったのは精神的に楽だったと思う。
電車が動き出したことが分かったのは日にちが変わったあたりだったと思う。そこで早朝に家路につくことを計画してオフィスで仮眠したのでした。早朝の電車だったけど普段の朝のラッシュに相当するくらい多くの人が乗車していました。時折、地震警報が車内に鳴り響き、物々しい朝でした。
地震発生の日、自分の無力さに嘆きました。誰もがそう思ったと思うんだけど、どうにかしたいけどどうにもできないもどかしさ、なんて無力なんだろう、って。
あの日から今もなお貢献できることを考えているけど、なかなかできていない。経済的な貢献は継続しているけれども、プログラマーとして、または自分の得意な分野を活用しての貢献は今もなおできていない。本当に申し訳ない気持ちでいっぱい。テレビから流れてくる現地の様子を見ながら、ぼくができることはないだろうか?と。貢献の形はいろいろあると思うので、何かを見つけたら積極的にかかわっていきたいと思います。
ここ2週間くらいでテレビも通常モードになってきたり、通常どおり通勤したり、徐々に元に戻ってきました。被災地から離れた首都圏にいるぼくでさえこんな気持ちなのだから、被災地のみなさんの心労は想像以上のものだと思います。
これだけは分かってる。ぼくらはこれから新しい時代を築くんだ。この復興を担うのはほかの誰でもないぼくたち。
ぼくの好きなバンド Jesus Jones の曲、"Right Here, Right Now" に
Right here, right now
There is no other place I want to be
Right here, right now
Watching the world wake up from history
という一節があります。どんな未来がぼくらに訪れるか分からないけど、近い将来この震災から復興して日本を甦らせるとき、この一節がさらに染みてくるはず。
頑張りを強要することはあんまり好きじゃないんだけど、ネガティブに考えることは決して良くないと思う。それこそ楽観的なくらいポジティブに考えていくべきだ。
まずはぼくへの宣言を込めてこのエントリを書きました。
みんなが笑顔になれますように。